Center’s Note

”言語獲得”のメカニズムの解明から”教員の心理”のメカニズムの解明へ

2025年4月30日
片岡 恋惟

はじめまして。4月より当センターに着任いたしました特任助教の片岡 恋惟(かたおか れい)と申します。この投稿では、私(片岡)の自己紹介をさせていただきます。みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。

出身地と趣味

私は生まれも育ちも北海道の道産子です。出身は沼田町という町で、札幌からは北東に100キロほど行ったところにあります。自然豊かな町で、夏には蛍を見ることができたり、冬には豪雪地帯ということもありウィンタースポーツを楽しむ人が多くいます。特に、秋に開催される「夜高(ようたか)あんどん祭り」は、五穀豊穣を祈願するお祭りで、重さが約5トンもある巨大なあんどんが町中を練り歩き、多くの人々で賑わいます。

趣味は食べることで、特にカレーなどの辛いものが好きです。疲れたときはカレーのスパイスの力でエネルギーをチャージしています!札幌にはたくさんのカレー屋さんがありますが、みなさんのおすすめのカレー屋さんはありますか?機会がありましたらぜひ教えてください。

研究活動 ― 言語学と教育心理学 ―

さて、ここからは研究のお話をさせていただきます。私は大学院(修士課程)より本学に進学し、国際広報メディア・観光学院(IMCT)にて修士号(理論言語学/生成文法)および博士号(教育心理学)を取得しました。生成文法という分野をはじめて聞く、あるいは馴染みのない方もいらっしゃるかもしれません。人間は、限られた単語や文法知識をもとに、新しい表現(文)を無限に作り出す能力を持っています(正確には人間はいつか死ぬので無限ではありませんが…)。例えば、「洗濯が終ったあと、なぜかタオルが2枚多くなっていた」という文は、おそらくご自身で言ったことも、誰かに言われたこともない表現ではないでしょうか。しかし、私たちはその意味を理解することができます。それはなぜでしょうか?また、特殊な状況を除き、人間は無意識に言語(母語)を獲得することができます(これは意識的な努力が必要であり、また身につけられるかどうかに個人差があるようなスポーツや音楽に関する能力とは大きく異なります)。加えて、人間の言語は動物の言語に比べ、複雑であり、創造性も豊かです。このように、無意識に誰もが獲得することができ、他の動物には見られない能力、それこそが言語能力であり、その仕組みについて明らかにしようとするのが生成文法という学問なのです。言語とは人間を人間たらしめているものであり、そのため究極的には生成文法は「人間とは何か?」という問いについて考える学問ともいえるでしょう。私は大学ではじめて言語学という学問の存在を知り、そしてこの究極的な問いに答える挑戦に魅力を感じ、学士と修士課程では生成文法に関する研究を行っていました。

その後、博士課程では研究テーマを教育心理学へと大きく転換することになりました。そのきっかけの一つが、大学院生時代に非常勤講師として教壇に立つ機会が得られたことでした。その中で、「これまで自分は大学院にいて、研究者になる準備はしてきたが、教育者としての準備は不十分なのではないか」という不安を感じるようになりました。先輩教員からは、「授業をやっていくうちに次第になれるから大丈夫」という助言をいただくこともありました。しかし、私は教職課程を履修していませんし、もちろん教員免許も持っていません。つまり、教育経験がまったくない状況で授業を担当することになりました。次第に私は、「なぜ大学教員は研究者だけでなく、教育者でもあるにもかかわらず、教員になるための体系的な教育を受ける機会が限られているのか」という疑問を抱くようになったのです。教えることが決して得意ではない、むしろ教えることに強い不安を感じた経験を通じ、大学院生には研究者としてだけでなく、教育者としても成長するための支援の必要性を強く感じるようになりました。そんなときに、当センターの教員が担当する大学教員養成講座や研修に参加させていただき、シラバスの作成や授業の進め方など、授業にかかわる基本的な知識や実践スキルを身につけることができました。

こうした自身の体験から、教育に携わる人の“心理”に興味を持つようになり、博士論文では大学(英語)教員の授業活動に関する不安をテーマに研究を行いました。その中で、教育経験の浅い教員は教育不安を抱きやすいこと、また大学の英語の授業では、第二言語習得や外国語教育を専門としない教員も授業を担当することが多く(私もその一人です)、専門分野ではない科目の授業を担当しなければならないことによる不安を教員が感じていること、加えてそうした教員の不安や悩みを共有・相談できる場が不足していることが明らかとなりました。現在の日本では、大学教員になるために、教職課程を履修することや教員免許を取得することは必須ではありません。こうした状況では、教員が教育に関する不安を抱くのも不思議ではありませんし、そうした不安に寄り添いながら教員の成長を支援する場としてのFDが必要であると考えています。

(活動実績についてはこちら→https://researchmap.jp/reikataoka

今後は、FDや研究活動を通じて、教員が個性と能力を発揮できる環境づくりや教育現場の改善に貢献したいと思います。また、教員のみなさん(ときには学生のみなさん)の経験や想いを理解し、ともに直面する課題の解決や改善について考える経験は、研究者としても教育者としても駆け出したばかりの私自身にとって、大きな経験と財産になると考えています。みなさま改めまして、どうぞよろしくお願いいたします。

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